サンマの缶詰
昭和40年代の週末、私の家の前は、電車からあふれ降りた人が列をなして歩いています。その列は1時間近く続きます。そしてみんな旅館街に吸い込まれていくのです。団体客のために、町の大きなホテルでは、連日イベントが行われていて、演歌歌手、漫才、手品師、などいろんな人が芸を披露していました。その中で、ダンスのショーも催され、たくさんのダンサーが海外からやってきていました。ある日、母の店にブラジル人の女性ダンサーがやってきます。何やら母に語りかけますが、母は戸惑うばかり、私に援護を求めます。ブラジルはポルトガル語で、私にもさっぱりわかりませんが、片言の英語と身振り手振りで何とかお互いなんとなく意思が通じるようです。二人連れでやってきたダンサーはどうやら魚の缶詰がほしい様子。店にはサンマのかば焼きの缶詰がありました。私が差し出すと、目を丸くして何やら叫びます。たぶん「おにいちゃん、これだよ!」と言っているような、いないような・・・
ダンサーは身振り手振りで、缶詰を開けてくれと言っているようです。缶切りを差し出すやいなや、素早くあけるとぺロリ平らげ、おかわり・・
結局二人で5缶食べてしまいました。これをきっかけに、この二人のダンサー、私を指名してやってきます。そして必ずサンマのかば焼きを食べていきます。「ネコじゃねんだから・・・」他に食べるものがないのでしょうか?ホテルにはいろんなものがあるはず、なぜサンマの缶詰?
その疑問はついに晴れることはなく、別れの時がやってきます。その日も私を訪ねてきた二人は、お互いに通じないながらも会話を交わします。どうやら国に帰る様子。「グッバイ」それはわかりました。母がサンマの缶詰を差し出します。「プレゼント」と言って・・母は二人にかわるがわる抱擁されました。次は私の番だと期待しましたが、握手だけです。
二人は、何度も振り返り手を振ります。二人が見えなくなるまで母と一緒に手を振りました。たぶんまだ健在でいられる年のはずですが、もうダンスは出来ないでしょう。母と私とサンマの缶詰、思い出しているでしょうか・・
たぶん、こんな恰好で踊っていたのでしょう