小さな親切運動 悲しい実行章
標題の小さな親切運動は1963年6月東京大学の総長であった茅誠司が初代代表になり、社団法人「小さな親切」運動本部が設立され現在も続いている運動です。
小さな親切運動とは、人には思いやりと親切の心をもって接し、困っている人には誰もができる範囲で親切にしようという運動です。お互いが思いやり、支えあうことでよりよい社会を築くことを目指しています。当時の社会は、高度経済成長の真っただ中、いろんな側面でアンバランスな世情があり、その反動としての運動だったような気がします。
その内容は、日常生活における「親切な行動」の実践を重視し、一般国民からの推薦によって、毎月25日に親切な行動を行った個人や団体へ実行章が贈呈されます。実行章の受賞内容は様々で、清掃・花植えなどの環境美化活動、高齢者への援助、事件・事故などの迅速な対処、社会奉仕活動、ボランティア活動などがあります。
また、全国の小中学校を対象とした作文コンクール(後援は内閣府、文部科学省、NHK、毎日新聞)や「小さな親切」はがきキャンペーン(後援は日本郵便、読売新聞)などを主催しています。
この運動が始まったのが、ちょうど東京オリンピックの一年前のこと、私が小学生の頃の話です。学校で先生が上記の様な趣旨を話し、みんなも良く考えて活動するようにと言い、会員章の小さなバッジをもらいました。実行章は他人の推薦がないともらえないもので、私はあまり興味はありませんでした。運動が始まってから2カ月したころ全校生徒前で実行章の授与が行われました。誰が貰うんだろう・・・そう思っているうちに私の名前が呼び出されます。何のことかさっぱり分からないまま壇上に上がり賞状と実行章のバッジをもらいます。その時初めて、なんでもらったのかわかります。
私の親切は次のような行為でもらったものでした。
当時の小学校には特種学級と呼ばれた養護の教室がありました。主に知的障害を持った子供たちの学級で、その中に「Yちゃん」と呼ばれる男の子がいました。よくいじめられる子でした。ただ、本人はいじめられている認識はなく、からかわれても、はたかれても、ともだち扱いされていると思っているのか、いつもニコニコしていました。
ある日の下校時のこと、いつものように悪ガキ達が「Yちゃん」をからかっています。ふとしたはずみで「Yちゃん」の手が悪ガキの頬に当たります。悪ガキは怒って「Yちゃん」を道路工事の穴に突き落とします。さんざん悪口を並べそのまま立ち去ってしまいます。そんな状況でも「Yちゃん」はニコニコ・・・・
私はそんな「Yちゃん」がかわいそうになって穴に飛びおります。深い穴でした。たまたまそばに梯子があったのを私の友人が持ってきてくれます。なんとか「Yちゃん」救出。
そんな一部始終を遠くから見ていた同級生の女の子が推薦してくれ、いただいた実行章でした。
しかし、実行章をもらってから1カ月後、「Yちゃん」が亡くなった知らせが入ります。「Yちゃん」の家は学校から4Kほどある山の中、その通学途中で深い谷底に落ちてしまい、亡くなったそうです・・・
実家の机の中に、あの時の実行章は大事にしまってありました。「Yちゃん」が穴に落ちた時のこと、助け上げた時のこと、今でも鮮明によみがえってきました。いつもニコニコしていた「Yちゃん」。わたしも時にはからかう側にもいました。そんな「Yちゃん」おかげでもらえた実行章・・・
喜んでいいはずの物なのに、不慮の事故で、谷底に落ちてしまい、小学生でその一生を終えた「Yちゃん」
思い出すと悲しくて仕方なくなりました。