どどめ

桑の実のことを埼玉・群馬では「どどめ」と呼びます。全国どこでも「どどめ」だと思ってましたが、北関東の一部、古くから養蚕の盛んな地方だけのようです。

語源は、トルコ語だという説もあります。トルコ語で桑のことは「DUT」といいます。実の事は「Meyve」で桑の実のことは「ドゥドメイベシ」となり、「どどめ」につながるようです。

さて、なぜ群馬と埼玉だけドドメなのでしょうか?

群馬には600年代から700年代に沢山の人々が朝鮮半島から渡ってきます。朝鮮半島はちょうど三国時代でゴタゴタしていたころです。

大和朝廷は白村江の戦いに2万人の兵を送りますが大敗してしまいます。それで、文明の遅れから、もっと軍事力を付けないといけないと思ったのでしょうか、朝鮮半島からの帰化人を歓迎して、進んだ技術を教えてもらい、かつ当時の蝦夷(東北以北)のすぐ南側の危険地帯に住まわせます。それが群馬と埼玉なのだそうです。朝廷は、馬を飼育する技術、鉄を作る技術、養蚕と織物、焼き物、これらを導入したかったのだそうで、高句麗、百済、新羅からの人々を受け入れていたようです。

多胡郡(今は多野郡)にきた新羅系の帰化人は、麻つくりや養蚕や焼き物の優れた技術を携えてきました。多胡郡からは織物遺物や紡錘車遺物が多く出ており、布生産の重要な拠点だったようです。

今の朝鮮語ではドドメはないようですが、中央アジア草原の道を通って新羅に養蚕技術が伝わり、新羅から群馬や埼玉に来たので、チュルク語の成分の「ドドメ」という単語が残っているのかもしれません。

小学校の帰り道に大きな桑の木がありました。実を食べながら帰ると、口の周りが紫色になります。この色素はアントシアニンでなかなか落ちません。手も紫、口も紫、挙句の果てはシャツも紫色に染め上げ、そのまま帰ると母に「どどめ食べたろう!!」と思いっきり叱られたものです。

このごろは、近所の畑からも桑が消え「どどめ」を手にすることも少なくなってしまいました。