テレビがやってきた日

我が家にテレビがやってきたのは昭和35年でした。初めてみた番組は、いわゆる西部劇で騎兵隊とインディアンが戦っている場面です。当時幼稚園生でしたが、今でもよく覚えています。私の家は十数件ほどの集落にありました。近所で最初にテレビを購入したのは私の家で、近所の家全てにテレビが備わったのはそれから数年たったころです。そんな我が家に、夜になるとテレビをみせてくれと、いろんな人がやってきます。そして、その人たちに番組を見る権利を奪われてしまいます。このごろは言いませんが、それをチャンネル権と言います。大人が見るのはプロレスや野球、ニュースなどで、子供は早々に寝かされてしまいます。

昭和35年のテレビは14型で、白黒、58000円ほどだったそうです。その年の大卒の初任給が10800円、高卒7400円、牛乳14円、ラーメンが50円だったそうです。現在ラーメンは700円から1000円します。仮に1000円とすると、テレビは100万円以上したことになります。父は国鉄の職員でした。給料は安かったと思います。そんな父がテレビを真っ先に買えたのは割賦販売のおかげです。国鉄職員には専用の購買部があり、食料品からスーツ、自転車などあらゆるものが安く買えました。その頃出始めたテレビも扱っていて、父と母は「購買の月賦のおかげだ」とよく言っていました。

そんなテレビは、ゴブラン織りのカバーをかけられ、家の一番いいところに鎮座します。

今、量販店や通販で、カラーテレビは、お年玉程度で買えます。近隣の招かざる客がテレビを見に来ることもありません。

こんな感じで近所から集まってきます。