尾瀬の思い出

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) とおい空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小路(こみち)
水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
夢見て咲いている水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

オリンピックも後2日。毎日暑い日が続いています。尾瀬には何度も出かけました。歌のとおりの夏の時期です。歌は水芭蕉と言っていますが、これは5月から6月の花、7月中旬からはニッコウキスゲが咲き誇る季節です。今は通行止めとなっていますが、昭和の時代は鳩待峠まで自家用車でいくことができました。そこに車を止めて山の鼻まで下ります。約1時間ほどで尾瀬ケ原に出ます。そして目的の山小屋までのんびり歩きます。本当にゆっくり2時間ほどかけて小屋につきます。普通、尾瀬の散策は朝方には尾瀬沼まで出て強行軍で日帰りをするのがほとんどです。私は金曜日の仕事を早く切り上げ、本当にのんびりと散歩程度のペースで歩くのが常でした。平日の午後、尾瀬ヶ原の木道を歩く人はほとんどいません。

山小屋の主人は同僚の友人。同級生で、何かと便宜を図ってくれました。宿賃も同僚が一緒ならタダです。しかしタダより高いものはなく、宿に着くなり雑用の山・・ゴミ片づけをしたり掃除をしたり結構忙しいのです。そのかわり夕飯は特別メニューで、良く出てきたのが岩魚のバター焼き、尾瀬で魚を食べられるというと、不審に思う方も多いと思います。山小屋の主人は代々尾瀬の住人です。そのため漁業権を持っているそうです。自分たちが食べる分は湿原を傷めない限り釣っていいようで、今はどうなっているか知る由もありませんが、たまたま一緒に止まっていた環境庁(当時は環境庁です)の職員に、そう教えてもらいました。山小屋の主人も釣りを楽しむというよりは、密漁の監視、環境保全の目的が主だったそうです。

そんな山小屋の主人の計らいで一度だけ釣りの同行させてもらいました。釣り場は東電小屋から少し下ったところ、橋の袂から、湿原を避け川に入ります。ほとんど川の中を歩く釣りですが釣り上る距離はせいぜい20メートル。なにせ人の手がほとんど入らない川です。魚もいっぱいいますので釣り放題。山小屋の主人は食べごろの岩魚を数匹キープして小屋に戻ります。小屋では主人の奥さんが待っていて、早速料理に入ります。これもまたバター焼きでしたが、美味しく頂いたものでした。

その時が最後で尾瀬には行ってません。妻と一緒に行こうとは言ってましたが、知らぬ間に体力が追いつかなくなってきました。

知らぬうちに本当にはるかな尾瀬になってしまいました・・・