鬼子母神

鬼子母神1

当社が所在する伊勢崎市山王町には、大本山に身延山久遠寺を頂く、本妙寺と言うお寺があります。正式名称は日蓮宗鷲林山本妙寺で(鷲林山=じゅりんざん)本妙寺の開山は日蓮六老僧の一人の日朗上人と言われています。日朗上人は1245年に生まれた鎌倉時代の日蓮宗・法華宗の僧侶です。1261年、日蓮を師として法を学んでます。

このお寺では毎年11月の第4土曜日、日曜日に、子供の健やかな成長を願う神祭として鬼子母神祭りが取り行われています。鬼子母神は夜叉毘沙門天の部下の武将八大夜叉大将の妻で、500人の子の母です。これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていました。それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラを乞食(こつじき)に用いる鉢に隠します。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回炉ましたが見つけられず、釈迦に助けを求めます。そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言いました。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻します。そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えます。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となりました。また盗難除けの守護ともされてます。

本妙寺には鬼子母神堂があります。鬼子母神は雑司ヶ谷の法明寺(東京都指定有形文化財)が比較的著名です。群馬県では江戸時代に遡る遺構は本妙寺のものが唯一だそうです。

鬼子母神2

さて、鬼子母神祭りは門前から鬼子母神堂へと威勢のよい掛声とともに、クルクルとまといを廻しながら練り歩く7組の万灯行列と、鬼子母神堂の前での披露されるまといが見どころで、まとい捌きとその勢いが見事なお祭りです。門前からお堂に通じる参道の両脇には露店が並びます。日暮れを待ち兼ねていた子どもたちが列をなし、夜7時近くになると地域の人たちが集まって、境内が人の山となります。

私がはじめて訪れたのは、妻と知り合ったその年の11月です。いまから約40年前・・・随分と前のことになってしまいました。

その年は、今と違って寒さが身にしみる年でした。ポケットに手を突っ込んで震えながらも、見事なまとい捌きとその勢いに感動したものです。

コロナの騒ぎで、鬼子母神祭りも例年の様なにぎわいはありません。伊勢崎の貴重なお祭りがいつまでも続くことを願ってます。