黄色い短パン
実物はもっと安っぽかったです
前々回ファッションについて書きました。その文章を読んでる妻が突然笑い出しました。何がおかしいというと「黄色い短パンを思い出した」と言います。元来洋服は好きなほうで、若い時からそれなりに持っていましたが、結婚して翌年には長男が生まれ、長男が3歳になる頃には家を建てます。当然家計は楽ではありません。悪いことに太りだしたこともあって、手持ちの洋服はことごとく着られなくなってしまいます。今は、ユニクロやしまむらなどの安いブランド、メルカリなどのフリマで調達できたり、古着屋さんなど、何かと洋服も安く買うことができます。しかし昭和50年代はまだまだ洋服も高く、トレーナー、ジーンズなど数千円を超えるのも当たり前でしたので、真っ先に切り詰めるのは服飾費でした。
当時のアルバムを出してみました。長男が3歳のころのものです。妻が呟きます。「これも黄色い短パン」「この時も」「アハハ・・海でも黄色い短パンだぁ」・・・・
表題の黄色い短パンはその頃はいていたもので、もともとは海パンです。しかし部屋着や外出着としても着まわしていましたので、当時の写真にはことごとく黄色い短パン姿の私が写っています。そしてよく太ってます。お笑い芸人より笑えるスタイル・・・
「若い時のブランドのことを読んで、オシャレだと人は思うけど、この時は着るものがなかったの?この落差は笑える!」妻の言葉・・・
さらに思いだいたようです。「たしか車のシートカバー用の、ノースリーブのトレーナーも着てたよね??? アハハハハ、これだ!この写真だ!」とうとう腹を抱えて笑ってます。つぼに入ったようです。
この車のシートカバー用の、ノースリーブのトレーナー、確かに着てました。セキチューの安売りコーナーで1枚500円で売られていたものを、最初から着るつもりで買ったものです。よく覚えてます。
こんな私のファッションは40歳を超えるまで続くのです。仕事は運送会社の事務系の仕事ですが、運転手がいないときなど、頻繁に大きなトラックを運転したものです。そのため、仕事中は作業服で過ごします。普段着を着る機会もなく、また欲しいとも思わずに過ごした時代です。
子供も大きくなり、多少生活にも余裕が生まれ、もともと好きだったこともあり、このごろはメルカリ中心によく服を仕入れています。同じ服を着ることもなく毎日を楽しんでいます。妻の言葉で若い頃を思い出しました。ろくなものを持ってなかった・・・そう思います。でも、その時のおかげで今を過ごせるのだと思うと、黄色い短パンやシートカバーに深く感謝を捧げなければならないようです。
もう少し長かった。でもこんな感じ