伊勢崎神社
伊勢崎の本町通りから南に入ったところに伊勢崎神社はあります。創建は健保元年(1213)9月23日、三浦介義澄と伝えられていますが、創建当時の社地は明らかではありません。元徳元年(1329)、当時の国司である新田義貞が現在の地に遷し社殿を修理して八坂神・稲荷神・菅原神の3神を合祀しました。
現在の社殿は嘉永元年(1848)に造られたものだそうです。彫刻が非常に緻密で壮麗です。もともとは飯福神社と称し、大正15年に町内数社を合併し伊勢崎神社と改称しています。前回の焼きまんじゅうと並んで、神社コロッケの発祥の地としても市民に愛されていますが、毎年1月11日午後2時から、社殿では「福まん神事」が執り行われ、神前で直径55㎝の鏡餅の様な大饅頭が焼かれます。『饅頭の様に皆様の幸せが大きく膨らみますように』と、宮司が饅頭に願いを込めて祝詞を奏上し、神事の後は年男年女が饅頭に思いを込めた文字を書き込み、願い文字の儀が行われます。 焼き上がった饅頭は「福分け」として無料配布されています。拝殿正面入口の上部には、戦時中、中島飛行機(富士重工業の前身)の社員が奉納した木製のプロペラがあります。飛行機が戦争から無事に帰ってくる様にと、渡航安全・航空安全を祈願したものです。海外旅行に行く時は参拝したほうがいいかもしれません。順序が前後してしまいましたが、伊勢崎神社の主祭神は保食神(うけもちのかみ)といいます。保食神(うけもちのかみ)は農作物・獣・魚・蚕など、生活に欠かせない多くの物を生み出した神様で、飲食、産業を司る神様として多くの神社でお祀りされています。日本書紀の記述を載せておきます。
「ある時月読命(つきよみのみこと)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)に命ぜられ保食神を尋ねた。喜んだ保食神は月読命をもてなそうと口から大地に向かって米を、海に向かって魚を、山に向かって獣を吐き出し、それらを豪勢に盛り付けた。しかし月読命は喜ぶどころか「口から出した汚い物を食わせるのか」と怒り狂い、保食神を斬り殺してしまった。それを聞いた天照大御神は怒り、もう月読命と会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜に別れて出るようになった。天照大御神が天熊人(あめのくまひと)を遣わすと、保食神の屍の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小麦が生まれた。これらをすべて持ち帰ると天照御大神は大変喜び、民が生きてゆく為に必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。」
太陽と月が別れたこと、麦・大豆・小麦は保食神の陰部から生まれたそうで、何とも興味深い話です。
今、御朱印帳がブームのようです。伊勢崎市は、「伊勢崎銘仙」と呼ばれる絹織物の生産地でした。今は生産はありませんが、伊勢崎神社では伊勢崎銘仙の御朱印帳があります。結構高いデザイン性で素敵です。
こんなご朱印帳があります