新宿2丁目

水上町の藤原地区、その奥に青木沢という集落があります。今は宝台樹スキー場などがあるところで、結構開けています。私が小学生の頃のこと、母はそこの農家の方からきのこや山菜を仕入れていました。阿部さんとおっしゃる方で、平家を先祖とする一族。いわゆる平家の落人の末裔です。阿部さんは農家と言っても自給自足の様な農業で、キノコ、山菜や、岩魚を釣って旅館に卸す職漁師も営んでいたようです。当時の青木沢には、電気、水道などのインフラは全くなく、沢の水を引いた簡易水道、夜はランプの明かり、燃料は薪といった生活でした。

名前の通り集落には沢が流れていて、岩魚がたくさん生息しています。子供たちが、その岩魚をとるのは、もっぱら夜のことで、懐中電灯片手に沢まで下りていきます。もう片方の手にはバットのような木の棒、沢の淵や流れの緩やかなところにつくと、いきなり懐中電灯で水面を照らします。そこには60センチもある岩魚がゆったりと泳いでいます。半分寝ているようでプカーと浮いている、そんな感じです。その岩魚の頭をめがけ持っていた木の棒を振り下ろします。それだけで岩魚がとれたそうです。

阿部さんの家族には私と同級生の男の子がいました。名前は良く覚えていませんが、甲高い声で私によくなついてきた男の子でした。小学校の修学旅行も一緒で、その時も何かにつけすり寄ってきたのを良く覚えています。だいぶ前に修学旅行のことをかきましたが、そのとき真っ先に外人めがけサインをねだったのはこの男の子でした。

彼は中学を卒業するとすぐに集団就職で東京に出ていきます。そのごの足取りは全くわかりません。

私が二十歳のころ、知らない名前の女性から手紙が届きます。何だろうとあけてみるときれいな女の子の写真と手紙が入っていました。「今ここで働いています。今度来てください」住所は新宿2丁目、どうやらキャバレーらしきお店です。手紙の最後に男の名前が書いてありました。「だれだぁ?こいつ・・・」母は既に知っていた様子。阿部さんから、「息子が女になっちゃた・・・」愚痴を聞いていたそうで、「○○ちゃんだよ、その子は」・・・・「おまえのこと好きだったらしいよ」と母・・私は男の子に惚れられていたようです・・・

それっきりの出来事です。新宿2丁目には行きませんでした。

いまどんな「ばばぁ」?になっているやら・・・もともと女の子の様な顔立ちで、声変りもせず、送ってきた写真も随分きれいだったので、成功して悠々自適かもしれません。どうなんでしょうかね?