熱が出た・・・

私は生まれつき扁桃腺が大きく、幼少のころからよく扁桃腺が腫れ高い熱を出していました。それも決まって大きなイベントや人生の節目で出しています。私は学生の頃添乗員のアルバイトをしていました。近畿日本ツーリーストの添乗員として、京都から伊勢志摩まで小学生の団体を引き連れていました。元来一生懸命に突き詰めるほうなので、恐縮な話ですが、いろんな学校の先生から、「よくやってくれてありがとう」とお礼を言われました。それがきっかけで就職のときには旅行会社を志望することになります。

今とは違って私が学生のころは4年生の10月に就職戦線がスタートします。まだ、内定は出る時期ではありません。内定は、早くても年内、大概年明け早々でした。大手の企業では、まずは学校が指定校かどうかが問題になります。幸い私の学校はどの企業でも門前払いはされません。面接を何回か重ね最終的に役員面接まで行くとほぼ内定です。私もいくつか企業は回りましたが、一番の希望は「交通公社」今のJTBでした。その当時は超人気企業でなかなか内定がもらえる企業ではありませんでした。幸い、何回かの面接も、学生のころの経験が役に立ち無事にこなします。なんとか筆記試験もクリアし最後の役員面接を迎えることになります。下宿に最終面接の案内と前日の宿泊券、京都から東京までの新幹線の往復切符が届きます。もう合格は確実だ・・そう思いました。前日に品川のプリンスホテルに泊まりました。眠りにつこうとしますがなかなか寝付けません。そうするうちなんだか熱っぽくなってきたのがわかります。時間がたつにつれ熱は上がりホテルで借りた体温計ではすでに41度の高熱・・・そのまま朝を迎えます。どこをどうやって面接会場に辿り着いたのかわかりません。気力だけで面接は受けましたが、なにを聞かれ、どう答えたのかもわからず、最後の身体検査では震えが来る始末・・・

結局私は採用されませんでした。いまだになぜ体調が悪くなったのかわかりません。あの時普通の体調だったらたぶん採用されていたはず・・よくそう思います。そうしたらどんな人生だっただろうか・・・

私はロシア語を習っていました。交通公社には海外勤務希望と出してありました。採用されたなら間違いなくロシアか東欧に赴任させられたと思います。そして最悪東欧諸国が独立する際の動乱で日本には帰れなくなっていたかもしれません。たぶんバルト三国のどこかで、仕事もなく年老いて、貧しく暮らしていると思います。人気企業には入れませんでしたが、今大勢の社員たちのおかげでまだまだ働けています。そう思えば熱を出したのも必然性があった・・・「人生塞翁が馬」今の人生のための転換点だと思うのです。