父の陰謀その1

私が中学3年の夏、修学旅行は大阪万博でした。私は岡本太郎がデザインした「太陽の塔」をリアルに見ています。アメリカ館やソビエト館が人気で入場するのには3時間並ばなければなりませんでした。アメリカ館には月の石が展示されていて、見た同級生も何人かいたようです。この修学旅行には父が一緒に付き添っています。理由はPTA会長だったからです。当時PTA会長は、歴代、町会議員が務めていました。町会議員も町の実業家がほとんどで、お金持ちがなっていたようです。私が3年生になる時、PTA総会が開かれます。ほとんどの保護者が委任状をかく中、私の父はPTA総会に出向きます。PTA総会には数人しかいません。そして、出席者のほとんどが、PTA会長はあの人だと決めている人がいます。その人は町会議員でもあり、お金持ち、会社の社長です。小学校の時はこの人がずっと会長でした。体格のしっかりしたイケメンで、颯爽とした人です。ただ、祝辞はいつも「ドフトエフスキー」の言葉を引用していて、いつも同じ話、うんざりしたものです。

さて、そのPTA総会に出席していた父は「副会長をお願いしたい」と言われます。何のことはありません。そこに出席していたのは、例の会長候補のほかはみんな女性で、父が担ぎあげられたのが真相ですが、父はおもむろにこう言います。「会長ならやります」

出席していた女性の賛成で、その人を差し置いて父はPTA会長になります。どうも、最初から会長をやる気で総会に乗り込んだようで、そういった役を嫌っていた母はその日逆上して「断ってこい」と言いますが、父はどこ吹く風、ただにこにこしているばかり。してやったりのようでした。

この一件は、のちに父の遠大な策略の序章であることが判明します。続きは次回に・・・・

大阪万博 1970年 太陽の塔