運転免許
父は55歳で国鉄を退職します。当時年金が55歳から支給されていて、父は再就職することなく悠々自適の生活に入っていきます。私の家には車がありませんでした。誰も車の運転免許持っていないからで、父は、車がほしい気持ちはあったものの、教習所に通う余裕もなく定年を迎えたのが実際のようです。定年を迎え、最初に行ったのが教習所通いでした。我が家から3駅先の沼田駅まで通うことになります。何事にもうぬぼれが強い父でしたから、当然車もすぐに乗れるようになると思ったようです。教習所は35時間くらい乗れば、免許を取得できます。教習所の中で運転を覚え、仮免許を取得、路上に出ればゴールはすぐそこです。ですが現実は厳しいものでした。最初は意気揚々と通っていた父ですが、日増しに元気がなくなります。とうとう私に愚痴をこぼします。「いくらのってもハンコをもらえない。もう運転できるのに俺だけ何度もやり直しだ・・・」同情した私ですが、「年だから、若い人より時間がかかるのは仕方ないよ」そうは言いましたが、父は天井を見つめるばかりです。その日はそれで、あやふやなやり取りで終わりましたが、何日かして父が、教習手帳を見せ、「見てみろ、こんなに乗らされているんだ、まったく金を絞るだけで、あの教習所はだめだ!」なんと、父の教習時間は100時間を超えています。いくら高齢とは言え、これはないと思った私は「教習所に抗議しろ!もう十分乗れるだろう」 父はにっこりうなずき、「まあ、あと何時間でもないだろう。しかたない」そう言います。しかし教習時間100時間越えは、既に100万円以上支払っていることになります。既定の金額が30万ほどですので、3倍以上支払っているわけです。少々父が不憫になりました。同時にいくらなんでも教習時間が多すぎるだろうという疑問が頭から離れませんでした。
それから半月ほどしてようやく父は仮免許を取得します。既に支払った教習料は120万円を超えたようです。同時に、私の疑問も晴れるときがやってきます。父が運転ミスで教習所の土手に乗り上げ、教習車を1台廃車にしてしまったらしいのです。教習所も廃車にした車の弁償を求めることができないので、その分、余分に乗らされたらしいのです。「お父さんが余分に乗るのは仕方ないよ、教習所も車1台つぶされているからね。元をとるまでのらされるよ」そんな言葉に、納得しますが、余計に不器用な父があわれでした。
免許を取得するのと同時に、父は念願の軽自動車を手に入れます。新車ですが、教習所に払った額の半分ほど・・・・父は亡くなるまで車に乗りつづけましたが、無事故でした。多額の教習料は払いましたが、安全運転は十分に教えてもらったようです。
スバルのレックス、軽自動車です。