運送会社時代 その2
私が勤め始めたのは昭和57年。その以前の運送会社は今の運送会社とは全く違ったものでした。今は過積載は全く許されません。ダンプなども10トン積むことは稀です。過積載をして事故を起こしてしまったなら、会社の責任が問われ、経営者、運行管理者が逮捕されてしまいます。
また、長時間の運転も建前上は規制されています。そして何よりも違うのは運転手の給料です。昭和50年代の運転手、特に貸切のトラック運転手は月の稼ぎが100万を超す人がざらにいました。理由は1回の運行で5回分の荷物を運んでしまうからです。ダンプでの砂利運搬や屋根のない平ボデー車の鋼材運搬などでよく見られました。有名なのは栃木のダンプで、セメントの材料を運んでいました。後ろから見ると富士山の様な荷姿で、50トン以上積んでいたそうです。栃木県安蘇郡葛生町あたりが有名です。この辺の道路は過積載のダンプによって大きな轍ができていたものです。
私の会社でも鋼材やコンクリートパイル(地盤改良のためのコンクリートの杭)を運んでいました。積載重量はだいたい30トン位、大幅な過積載です。ちなみに浦安の埋め立て地のコンクリートパイルは私の会社で運んだものも結構な本数あったようです。
私もときにはトラックに乗りました。もちろん運転手としてです。配送先は関東一円で日帰りコースの簡単なものがほとんどでした。運転手は常に人員不足で、そのため駆り出されるのです。
運送は届ける前日に荷物を預かり、翌朝届けるのが基本的なスタイルです。運転手は当日の荷物を下ろし、明日の荷物を積むために戻ってきます。ですが、遠方へ運送した場合、夕方までに戻ってくることが困難な場合があります。そんな時は私にお呼びがかかります。空いているトラックで荷物を引き取ってくるのです。伊勢崎の八斗島工業団地にサンデンがあります。主にヨーロッパの市場向けに自動車のエアコンのコンプレッサーを輸出していていました。そのコンプレッサーの荷姿は、1個約1立米、重さが800キロ以上あります。それを12個引き取ってくるのです。重量約10トン、トラックの積載は3トン500、約3倍の積載オーバーです。それだけ積載するとブレーキは全く効きません。踏んでも踏んでもトラックは止まりません。白バイにでも捕まれば即免停、今ならば免許取り消し。仕事とはいえ本当に危ない橋を渡ったものです。
この状態だと30トンは積んでます。3倍の積載です。